Capricious

自分の気まぐれさを愛したい

これは下書きのようなものです

 

このブログを誰が読んでるいるか分かる。

なんて言い出したら気持ちが悪いだろう、

言うまでもなく嘘なのだが。

 

私には表向きでは間延びしていても、

1人のときは有り得ないほど実直な面がある。

ヒトやモノに関心や興味がある。

勧められたものを必ず調べてみる。

その人が好きな傾向を知ると共に、

それをその人の説明書の1部として見ている。

 

堅苦しいのは苦手だが、

真面目な話はそうつまらないものだろうか。

 

笑える真面目話がしたくなったり、

少し抜けた話をばかみたく

真剣に話したくなるときがある。

 

言葉ではなんとでも言えてしまうのに加えて

それを発信するSNSの場も増えたのだから、

そこそこに真面目な話は体力を使う。

内容があまりに重たくなると、

身体まで何かを背負ったように重くなる。

 

てんびんが保てなくなると危機を感じざるを得なく、

私はふざけたことを言いたくなってしまう。  

 

 

下書き感覚で書く文字のように

思った言葉たちを誰かに向けて

その全てを素直に口に出したい時がある。

 

でもそんなものはギャンブルである。

本当に誰が得をするのか分からないことだ。

 

人を傷付けることはしたくないから、

見返しては訂正してを繰り返す作業のように

実際に言葉を口に出すときは、

慎重に言葉選びをしなければならない。

 

相手が発したさりげない言葉を

しばし考えて黙り込む時がある。

どうやら少し臆病なのかもしれない。

 

パソコンにdeleteキーのない世界は

消せないというのを理由に、

間違えてしまったなんて言い訳が出来るだろうな。

勇気のない誰かを後押ししてくれそうだ。

 

そして同様に、

「これは下書きのようなものです」

その言葉があるだけでどれだけ、

自らが思い感じたことを素直に伝えられるか。

訂正するチャンスを作らないと、

間違いがこわくなるときがある。