Capricious

自分の気まぐれさを愛したい

覗く

初めて踏み入る場所の古びた建物は

いつからこの街にあるのか愛されてるのか

見かけでは分からないことがある。

 

通る道の骨董品屋のガラス窓をのぞけば

中に腰を曲げたおばあさんがいて、

その時はじめてここは昔からあるんだと

答え合わせが出来たりする。

 

それが正しいのかは分からない。

 

表面だけでは分からないものを知るには

覗くしか知る手立てはないのだが、

覗いて見えたものが全てでもないみたいだ。

掃き溜め

 

 

複雑なことを考えたくなる時は大体

時間を持て余してる。

 

時間を持て余した日の小さな悩みは

本当は大きな意味など持たないのに、

1を10で受け止めてしまう余裕があるようだ。

 

呟きの海を泳ぎながら小さな考えは

肥大化して伝わる事が多いが、

本当はフランケンシュタインのように

助詞が抜けた言葉を浮かべては

それを繋げているだけなのかもしれない。

 

そんな移ろいの中でフラフラとし、

自分のテンポを守り生活をしているから

気分や波長が合う人は少ない。

 

もし居ても“合ったフリ”をしている人も少なくない。

 

そんな中で偶然的に出会う、

自分と波長の合う人を大切にしたいと思う。

 

不平等なことを愛してしまう瞬間がある。

特別や例外を受け入れた時だ。

 

普段から素直に自分を愛せないからか、

似た人を大切にする事で、まるで、

自分を大切にした気持ちになる時がある。

 

人を受け入れるために共通点を探すのはいい事だ。

19

 

「甘えられるの、今だけなんだから。」

 

祖母が私にそう言った。

小さな祖母に歩幅を合わせ、浅草の道を行く。

 

「うん、そうだね。」

眩むような暑さの中で絞り出した言葉。

 

ハタチになっても甘えたい

そんなことを通り過ぎる広告看板を

目で追いながら考えていた。

 

祖母が首に巻いたスカーフを日傘のようにして

暑い日差しを遮ろうとする。

手傘をさして隣を歩く、夏だ。

 

情弱であり鈍感であり

 

めんどくさがり屋を徹底的に

カモにするシステムがある。

 

楽を選びお金を払うことに、

抵抗のない人はどのくらい居るだろう。

 

犠牲を払うことへの抵抗や疲労感や

つまらないことがなくなれば

面倒くさがりは減るのだろうが、

むしろ3つ揃えてる人の方が多いから

そのようなサービスが増えた訳で、

結果がきっと全てなのだろう。

 

面倒くさがりが増えるほど

性質を理解した働きものが儲けを得てる。

大学のレポートを友達にお金を出し

書いてもらっている友人がまさにそうだった。

 

スキップは歩くより早いけど転けやすいよね。

干支6回分

 

 

ほんのり生あたたかい空間に、

扇風機の羽のみ回っていた。

突起を押せば首も回るものを強引に

自分のほうに向けた。

 

重石が乗ったような身体で椅子にドサッと座る。

古びた軋む音を鳴らし私を受け止めた。

今日は何だか動作のひとつひとつに、

自分の根にあるものを感じた。

 

咳払いをし、頬杖をつく。

 

こんな朝に祖母へ送る手紙を書いている。

祖母の雰囲気に合った花柄の便箋を下目に

下書きもなしに筆を走らせる。

 

 

『おばあちゃんへ

先日は夜ごはん振舞ってくれてありがとう。

おばあちゃんの手料理が好きです。…』

 

特に冬に作ってくれるシチューが好きです。

一緒に出してくれるパンにつけるのが好きです。

あ、今は夏なんだけどね

そんなことを脳内で思いながら書き進めた。

 

 

 

小さな箱に何が入ってるのだろう、

そんなことを想像するのが好きだ。

自分の口から全てを説明してしまうのは

なんだかつまらない。

1文にたくさんの思いを詰め込んだ。

 

 

手紙を書き終えて倒れるようにベッドで寝た。

短針は2つほど進んでいた。

 

なんだか外に出たくなり重たい窓を開けると、

一瞬の熱気で部屋の涼しさは忘れてしまった。

快適を知るとそれに縋ってしまう。

 

スマートフォンで夏の写真を見る。

写真家の撮る夏のフィルム写真の1枚が素敵だ。

手軽な夏を味わった。

 

 

No title

 

 

自分は凡だ。

学力においてはちょうど真ん中くらいの凡だ。

普通の学力で競り合う人を見ると、

プライドが高そうでその土俵に上がるのが嫌である。

 

 

専門学生になり、もう来年からは社会人。

高校では3択で将来の職業を絞った。

その職業に必要なものはどれも資格だった。

高校は大学附属だったが専門に進んだ。

 

学力はもちろん大事だ、

無いよりは絶対的にあるほうがいい。

ただ学校で得た知識の5割は豆知識のようなもので

実際は友達と交わした他愛もない話や、

周りで起きたトラブルの解決策を考えた時間、

夜中まで電話を繋ぎ無言で宿題をした時間のほうが

自分を成長させてくれた気がするので

貴重だったなと感じる。

 

 

程よく学力を満たして理解力のある人と話すと、

どんな話をしてもタメになったとお腹いっぱいになる。

そこには競り合いなんてなく、

他愛もない話で溢れているからだ。

 

 

 

彼氏に抱かれながら朝を迎えた。

窓から漏れる光のみ、

その部屋を照らして私はその光を見ていた。

 

この時間に起きてしまうのは、

隣で寝ることに慣れないからか。

眠気もさほどなかった。

 

背を向け、イヤホンを耳に入れてから仰向けになる。

耳から漏れない控えめな音量で

「空は藍色」を聴いた。

 

それからしばらくしてぼーっと天井を見た。

目を瞑って無が続いた。どこか寂しかった。

感情には名前がついてないものがまだ

沢山あるんじゃないかと思う。