Capricious

自分の気まぐれさを愛したい

ひとりごと

 

「もう駄目、駄目。なんも頑張れない……なんも。」

 

学習性無力感なんて言葉が存在する。

またそれを病と捉える人は多くいる。

何もしたくないことが何故おかしいのか、

なぜ病なのか、考えてみたら面白い話だ。

 

何が面白いって、

動くことを前提にした上で病という認識だからだ。

無であることを異常としているだからだ。

 

 

 

各々が全く同じルートでは育っていないから

それぞれの考え方が違うのは分かりきったことで、

周りと共存し、疲れるのは必然だと思う。

 

美味しいごはんを食べよう、腹を満たそう

綺麗な場所に行こう、写真に収めよう

寝よう、疲れを取ろう

 

したいことに目的が繋がればやる気が出る。

 

したいことだけで動いても、

目的だけで突っ走っても先が不安定である。

 

小さな頭で考えた。

無力感って具体的にはパッとしないが、

そのどちらもが欠けてしまった時だろうか。

 

 

悪さを愛して

 

 

 

元がわるい印象だと落とすものが少ない。

上がっていく好感度は目に見えて人を纏っていく。

 

マイナス要素を愛してもらえるのは

とても幸せなことだ。

 

好きな人に褒められることは嬉しい。

しかしそれが地でなく取り繕った良さならば

それを知られることはこわい。

意識的に繕った良さがはやく地にならないか

そう思っている現時点は、

地でないと気づいてしまうのが悲しい。

 

 

悪さを愛してあげることは悪じゃない。

誰もがそうあれたなら。

 

おもいでばなし

 

 

「部活もう決めた?」

「んーまだ。」

 

体育の授業、シューズの紐を結びながら答えた。

 

運動は人並み以上には出来る。

小中と運動に携わる勧誘が多かった。

断る理由がなければ基本入った。

 

しかし実は好きというより本当にただ、

何でもいいという気持ちに近かった。

 

たまたま運動が少し得意なだけで、

趣味はインドアなものが多かった。

だが仮に辞めるにしても入らなければ良さも

きっと分からないと当時は思っていた。

 

最終的にいうとバドミントンは

中2の春には辞めてしまった。

 

10年近く区大会優勝を守った学校であった為に

週6のハードな練習を重ねたが、

ペアを組んでいた友達が先輩のあまりの厳しさに

耐えられず辞めてしまった。

その子以外とのペアは上手くいかなかった。

スポーツにも相性がある。

 

その子はカナという子で小動物みたいな子だった。

優しく泣き虫で部活おわりの帰り道には、

当然のようにあった先輩からの叱責に

カナは耐えかね泣いていた。

 

自分が泣くより誰かが泣くほうが悔しい。

辞めるにしてもその先輩を越さないと、

自分としては辞めるに辞めれなかった。

カナが辞めた後に練習を欠かさなかった。

そして大会ではシングルで3位を取った。

先輩はシングル5位だった。

 

私の目標は1位では無かった。

その先輩より上を行ければ何位でも良かった。

 

カナに報告をし顧問にも辞めたいと言ったが、

無駄に好成績な影響で退部届けの紙を貰うのに

3ヶ月程度かかった。

 

部活を探していた時期、私は2年だった。

担任からの紹介なのか定かではないが

自分が部活を辞めてしまったことを知っていた

当時、国語を教えていた国語の先生から

演劇部の勧誘を受けた。

 

シャイな自分が演劇?

声も小さいのに人前に?

小学校の頃の学芸会。私は声が小さすぎて、

担任にリハーサルで『適当にやるな!』と

やる気まで否定されるひどい怒られ方をした。

それで傷ついた過去があった。

 

演劇自体に興味はあったが、

もし入るなら裏方は確定だなと思いながら

体験入部に放課後、足を運んだのだ。

 

部室にはライバルなんて空気感は無く、

みんなが楽しそうに言葉を交わし笑っていた。

ここに入りたいと心からそう思えた。

 

練習は週に3回と聞きビックリしていた。

週6で感覚がマヒしていたことに気付いた。

 

演劇部では練習以外の時間はこわい話だったり

恋バナや面白い話であったり

それはもう沢山した。優しい時間だった。

 

頼まれては居なかったが鍵の管理をしていた。

気付けば冷暖房操作の許可も貰っていたので

夏場の部室は自分にとってリゾート地だった。

 

日曜は地域のバドミントンクラブに入り

大人と混じって戦ってみたが、

もっと色んな活動をしたかったので

今度は栽培部に兼部をしてみた。

 

結果的に言うと3年で演劇の部長をする事に

なったが活動のメインが演劇部になっても

栽培部には毎週の活動日すべてに参加した。

ほんとに楽しかったのである。

 

栽培部は自分の祖母が当時、植物を育てることが好きだったことから自分もしてみたいという興味本位だった。野菜カレーなどを放課後に作って部員で仲良く食べた。

 

カロリーを消費する部活から

カロリーを摂取する部活に変わった。

 

栽培部の活動は週2ということで

平日は全て部活で埋まり、

そこに日曜のバドミントンも加えると結果的に

週6で活動をしていたことになるが、

充実度が高かったので身体の疲労感は以前とは

全く違う心地よいものだった。

 

学校にある大きな花壇には

だいこんやトマト、さつまいも、人参

きゅうり、ズッキーニ、茄子といった、

色々な野菜の種が撒かれていた。

 

肥料と土を均すために大きなスコップを持ち、

一生懸命に混ぜ、使ったことのない筋肉が

痛くなったりもした。

 

なんとなく泥臭い活動ではあったけど、

野菜の花壇の横に設けられた

お花用の小さな花壇に咲いたカモミール

息抜きに摘んだりして癒しを得た。

りんごのような甘い香りがして幸せだった。

上にばーっと投げて遊んだりもした。

 

カモミールは逆境に耐えるという

素敵な花言葉を持っていた。

 

自分は逆境に耐えれなかったが、

立て直すことは大成功だったと思う。

 

あの時バドミントン部を辞めてもし

何もする気力が起きなかったら、

野菜を花壇で育てる経験なんて都会育ちだから

今後しなかったかもしれないし、

 

演劇部に関しては声の小さい裏方志望の私が

文化祭の演劇でいちばん奥の客席まで届く声を

出すなんて最も有り得なかった。

 

全部がみんなのお陰だからこういう思い出は

大切に、忘れないでいたい。

 

 

 

夜に徹する ラジオと私

 

 

 

「ここの模型は明日までに終わらせて、

着色も済ませておいて下さい……下さい…」

 

なんだ夢かと安心してもう1度眠る。

 

 

5秒後、心の中の住人からお叱りを受けた。

どうやら今の夢は現実の回想らしい。

 

「うん知ってた。」

阿呆みたいな顔で悟りを開いた。

 

課題に追われる1日だ。

その優しいお言葉の主が

天使なのか、将また悪魔なのか分からないほど、

私はいま猛烈に眠いのである。

 

久しぶりにCDの音楽でも聴こうか迷ったが

そんなもの耳が心地よくてきっと眠りについて

しまうだろうと思いプレイヤーの設定を

ラジオに変えて文化放送に周波数を合わせた。

 

冷房を付けず扇風機だけの生あたたかい風を

浴びながら部屋にこもるこんな日もいいな。

これは下書きのようなものです

 

このブログを誰が読んでるいるか分かる。

なんて言い出したら気持ちが悪いだろう、

言うまでもなく嘘なのだが。

 

私には表向きでは間延びしていても、

1人のときは有り得ないほど実直な面がある。

ヒトやモノに関心や興味がある。

勧められたものを必ず調べてみる。

その人が好きな傾向を知ると共に、

それをその人の説明書の1部として見ている。

 

堅苦しいのは苦手だが、

真面目な話はそうつまらないものだろうか。

 

笑える真面目話がしたくなったり、

少し抜けた話をばかみたく

真剣に話したくなるときがある。

 

言葉ではなんとでも言えてしまうのに加えて

それを発信するSNSの場も増えたのだから、

そこそこに真面目な話は体力を使う。

内容があまりに重たくなると、

身体まで何かを背負ったように重くなる。

 

てんびんが保てなくなると危機を感じざるを得なく、

私はふざけたことを言いたくなってしまう。  

 

 

下書き感覚で書く文字のように

思った言葉たちを誰かに向けて

その全てを素直に口に出したい時がある。

 

でもそんなものはギャンブルである。

本当に誰が得をするのか分からないことだ。

 

人を傷付けることはしたくないから、

見返しては訂正してを繰り返す作業のように

実際に言葉を口に出すときは、

慎重に言葉選びをしなければならない。

 

相手が発したさりげない言葉を

しばし考えて黙り込む時がある。

どうやら少し臆病なのかもしれない。

 

パソコンにdeleteキーのない世界は

消せないというのを理由に、

間違えてしまったなんて言い訳が出来るだろうな。

勇気のない誰かを後押ししてくれそうだ。

 

そして同様に、

「これは下書きのようなものです」

その言葉があるだけでどれだけ、

自らが思い感じたことを素直に伝えられるか。

訂正するチャンスを作らないと、

間違いがこわくなるときがある。

ささやかな日曜日

 

 

 

 

近所の美味しいパン屋さんにて

クロワッサンとカレーパン、バタールを買った。

幼少期からそのお店のパンは皆に愛されてきたが、

パンもまたみんなを愛してくれているように

とても とても幸せな甘さをくれた。

 

近所の街並みが綺麗なのでその日は

ひとりで遠回りをした。

 

クロワッサンとカレーパンは帰ったら食べる。

明日のお昼でもいいのだが、

どうせ食べるなら出来たてが美味しいだろう。

バタールは斜めにカットしフレンチトーストや

ガーリックトースト、ラスクを作ることができるので

火曜日や水曜日の午後の授業がない日に作ろうと思う。

 

帰り道 夏の夕方の程よい気温が愛おしかった。

昼の苦しいほどの暑さなんてどこかに飛んでいって

アスファルトにうつる自分の影が小さく感じた。

 

幸せなものは習慣化していきたい。

 

 

 

おやすみ5分前

 

布団は彼氏のようなものだと思う。

 

布団は人に例えるならば

包容力があって、義理人情に厚い。

夜は優しく包み込んでくれる。

家を出なければいけない朝はもう一度眠るか

どうかの賭けを混じえた甘い時間もある。

 

 

昼からの授業までは時間があった。

自宅で満足いく食事を済ませて家を出る。

電車に揺られ、カンカン照りの日に照らされながらも

今週で最後の授業だからという理由で頑張れた。

 

「ここなんて読むの?」

「あー梁(はり)じゃないかな。」

 

隣にミズキという女の子がいる。

資格対策の授業は耳にしたことの無いような

単語もたくさん飛び交っていたためか、

ミズキはうつらうつらしていた。

きっと昼寝をしたかったのであろう。

 

ミズキが不真面目という訳でもないのは、

彼女の滑らすボールペンのインクが証明していた。

上へ下へ  左へ右へ 線路を変えては

書けていない文字を必死で書こうとしていた。

 

生憎ボールペンはフリクションではなく油性だった。

ミズキのうつらうつらが記録され、

帰りのチャイムが鳴った。

 

その日は何故だか自分も瞼が垂れるくらい重かった。

教室を出て階段をゆっくり下った。

 

ミズキにボールペンを貸していたことを思い出した。

下った学校の階段や坂、駅までの階段

それらを思い出すともはや悟りの域であった。

もし金曜の帰り 止まる電車を前に

元きた道をもどる体力が私にあるとすれば、

相当いいことがあるに違いないのだが。

体力のチャージ不足と割り切り電車に乗った。

 

電車に乗りいちばん近くの隅の座席に座った。

正面のお兄さんに寝顔を見られることなど、

気に留めず仕切りにもたれかかって数駅分は寝た。

 

 

家に着くとトートバッグをフックにかけ、

部屋着に着替え、結いていた髪を解いて頭を振った。

シャンプーの甘い香りがした。

 

溜まった疲れを全て吐き出す気持ちで、

深呼吸をした後、声を出しながら大きな溜息をついた。

 

私はあと5分程したら動きが止まる。

眠くなると人形の如く徐々に動きが遅くなる。

ぜんまいが切れてしまうように。

 

すぐに化粧を落とし手を洗った。 

冷たい水に触れて心地が良かった。

コップに水を入れて口の中をゆすぎ、

とぼとぼと部屋に向かって歩いた。

 

 

空腹も忘れて意識はぼんやりしていた。

 

冷房を付けずに扇風機に髪を遊ばれながら

小さな机に足を崩しうつ伏せて眠りについた。

 

付け忘れた冷房は気にも留めなかった。

 

 

 

ー 湿気をはらむ季節になると

居心地が悪くなり冷房をつけて寝る。

風量を弱に変え、温度を28℃まで上げる。

 

快適な温度で朝を迎えることができるのだ。

朝、布団を自分の身からばっと離す。

そうしないと寄る辺のない気持ちになって、

また抱きしめてしまいそうになる。

 

 

思い切り離してしまわないと、

また抱きしめたくなる時がある。

布団じゃなくても。