Capricious

自分の気まぐれさを愛したい

おもいでばなし

 

 

「部活もう決めた?」

「んーまだ。」

 

体育の授業、シューズの紐を結びながら答えた。

 

運動は人並み以上には出来る。

小中と運動に携わる勧誘が多かった。

断る理由がなければ基本入った。

 

しかし実は好きというより本当にただ、

何でもいいという気持ちに近かった。

 

たまたま運動が少し得意なだけで、

趣味はインドアなものが多かった。

だが仮に辞めるにしても入らなければ良さも

きっと分からないと当時は思っていた。

 

最終的にいうとバドミントンは

中2の春には辞めてしまった。

 

10年近く区大会優勝を守った学校であった為に

週6のハードな練習を重ねたが、

ペアを組んでいた友達が先輩のあまりの厳しさに

耐えられず辞めてしまった。

その子以外とのペアは上手くいかなかった。

スポーツにも相性がある。

 

その子はカナという子で小動物みたいな子だった。

優しく泣き虫で部活おわりの帰り道には、

当然のようにあった先輩からの叱責に

カナは耐えかね泣いていた。

 

自分が泣くより誰かが泣くほうが悔しい。

辞めるにしてもその先輩を越さないと、

自分としては辞めるに辞めれなかった。

カナが辞めた後に練習を欠かさなかった。

そして大会ではシングルで3位を取った。

先輩はシングル5位だった。

 

私の目標は1位では無かった。

その先輩より上を行ければ何位でも良かった。

 

カナに報告をし顧問にも辞めたいと言ったが、

無駄に好成績な影響で退部届けの紙を貰うのに

3ヶ月程度かかった。

 

部活を探していた時期、私は2年だった。

担任からの紹介なのか定かではないが

自分が部活を辞めてしまったことを知っていた

当時、国語を教えていた国語の先生から

演劇部の勧誘を受けた。

 

シャイな自分が演劇?

声も小さいのに人前に?

小学校の頃の学芸会。私は声が小さすぎて、

担任にリハーサルで『適当にやるな!』と

やる気まで否定されるひどい怒られ方をした。

それで傷ついた過去があった。

 

演劇自体に興味はあったが、

もし入るなら裏方は確定だなと思いながら

体験入部に放課後、足を運んだのだ。

 

部室にはライバルなんて空気感は無く、

みんなが楽しそうに言葉を交わし笑っていた。

ここに入りたいと心からそう思えた。

 

練習は週に3回と聞きビックリしていた。

週6で感覚がマヒしていたことに気付いた。

 

演劇部では練習以外の時間はこわい話だったり

恋バナや面白い話であったり

それはもう沢山した。優しい時間だった。

 

頼まれては居なかったが鍵の管理をしていた。

気付けば冷暖房操作の許可も貰っていたので

夏場の部室は自分にとってリゾート地だった。

 

日曜は地域のバドミントンクラブに入り

大人と混じって戦ってみたが、

もっと色んな活動をしたかったので

今度は栽培部に兼部をしてみた。

 

結果的に言うと3年で演劇の部長をする事に

なったが活動のメインが演劇部になっても

栽培部には毎週の活動日すべてに参加した。

ほんとに楽しかったのである。

 

栽培部は自分の祖母が当時、植物を育てることが好きだったことから自分もしてみたいという興味本位だった。野菜カレーなどを放課後に作って部員で仲良く食べた。

 

カロリーを消費する部活から

カロリーを摂取する部活に変わった。

 

栽培部の活動は週2ということで

平日は全て部活で埋まり、

そこに日曜のバドミントンも加えると結果的に

週6で活動をしていたことになるが、

充実度が高かったので身体の疲労感は以前とは

全く違う心地よいものだった。

 

学校にある大きな花壇には

だいこんやトマト、さつまいも、人参

きゅうり、ズッキーニ、茄子といった、

色々な野菜の種が撒かれていた。

 

肥料と土を均すために大きなスコップを持ち、

一生懸命に混ぜ、使ったことのない筋肉が

痛くなったりもした。

 

なんとなく泥臭い活動ではあったけど、

野菜の花壇の横に設けられた

お花用の小さな花壇に咲いたカモミール

息抜きに摘んだりして癒しを得た。

りんごのような甘い香りがして幸せだった。

上にばーっと投げて遊んだりもした。

 

カモミールは逆境に耐えるという

素敵な花言葉を持っていた。

 

自分は逆境に耐えれなかったが、

立て直すことは大成功だったと思う。

 

あの時バドミントン部を辞めてもし

何もする気力が起きなかったら、

野菜を花壇で育てる経験なんて都会育ちだから

今後しなかったかもしれないし、

 

演劇部に関しては声の小さい裏方志望の私が

文化祭の演劇でいちばん奥の客席まで届く声を

出すなんて最も有り得なかった。

 

全部がみんなのお陰だからこういう思い出は

大切に、忘れないでいたい。