Capricious

自分の気まぐれさを愛したい

知らないフリの取り扱い説明書

 

 

中学生時代はよく苦手な数学の時間に

分かっていても答え合わせをするように、

友達に解き方を聞いていた。

 

自分で多少の答えが分かるならば聞かずとも、

それで良いじゃないかと言う教師がいた。

違うなら違うで自分のためになると。

自分で粘って問題を解き続けなさいと。 

 

先生は私のことを大人だと思ってらっしゃる。

何も聞かずに誰の手も借りず

場に応じて即座に問題を解決するには

まだあまりにも若すぎたのである。

 

 

「あ、そうなんですね」

「んーなるほど」

 

1人で決断するには足らない頭なのだ。

 

自力で導いた答えにも後押しがないと、

決断は渋るタチではあった。

確実なことを当たり前の如く話したかった。

保守的ではあるから正確な判断だが、

その過程だけ見れば腰抜けとも捉えられる。

 

一時、無知に見える私にかなりマニアックな

下ネタを投げるという訳の分からない遊びを

男子にされていた。

 

意味は知っていたが、なにがそんなに

友達を面白くさせてたのだろうと疑問だった。

その言葉のイントネーションか。

破裂音が入っているからか。

もしくは女子に言ってるという

行為そのものが楽しかったのだろうか。

 

「え、それなんて意味なの?」

 

男子は猿のように笑ったが、

言った本人は少しばかり頬を赤らめてた。

 

 

我ながらなんて悪趣味なんだと思う。

照れた友達を周りで囲ってた友達が

背中を叩きながらおいおいと笑った。

もっと顔を赤らめていた。

 

そのリアクションこそ、

男子が私に望んだものだったのかもしれない。

知らないフリは損をしにくい生き方なのだ。

 

 

時折、不安になると人に何かを相談するが、

自分の中で実はある程度の答えは出ている。

 

相手がもし自分と異なる答えがあるならば

その答えに繋がる式を知りたいのである。

 

式が異なっていても答えが同じ人もいれば

式は同じなのに答えが違う人もいる。

式も答えも同じ人もいれば違う人もいる。

 

たくさんの意見がある中、

出来るだけ外れた道を選ばないようにした。

 

「へーなんで?」

 

気付けば19歳になっていた。

誰かの心を理解した気でいても、知らないフリ

をして聞くような人間のままだった。

 

“フリ”という言葉は便利でいて、

けれど口に出してしまうと

事実でも格好の悪いものになってしまう。

 

取り扱いには注意が必要だ。